

エレクトロニクス業界の最前線で、現在のEMS(電子機器受託製造サービス)業界が抱える最も切実な課題の一つである「在庫リスク」に焦点を当てた解説記事を執筆します。
2026年現在のサプライチェーン環境を踏まえ、発注側(OEM)と受託側(EMS)の双方がWin-Winの関係を築くための指針を提示します。
電子機器の開発・製造を外部に委託する際、多くの企業が直面するのが「部品在庫の取り扱い」を巡る摩擦です。
特に2020年代前半の半導体不足を経て、サプライチェーンの混乱を経験した現在、製造受託企業であるEMS(Electronics Manufacturing Service)工場は、これまで以上に部品在庫の保有に対して慎重な姿勢を見せています。
発注側であるメーカー(OEM)からすれば、製造に必要な部品はEMS側で全て手配し、管理してほしいと考えるのが自然です。
しかし、EMS側には「持ちたくても持てない」、あるいは「持つべきではない」という切実な事情が存在します。
この記事では、EMS工場がなぜ在庫を忌避するのかという舞台裏から、無用なトラブルを避けつつ、安定した供給体制を構築するための具体的な契約・交渉術までを、業界の中級者でも納得できる深さで解説します。
言葉の定義と背景:なぜ今、在庫管理が重要なのか
まず、本稿で扱う重要なキーワードの定義を確認し、業界を取り巻く背景を整理します。
EMS(Electronics Manufacturing Service)とは
EMSは、電子機器の設計、部品調達、基板実装(SMT)、組み立て、試験、さらには物流までを包括的に請け負うサービスを指します。
自社工場を持たないファブレスメーカーや、生産の最適化を図る大手メーカーにとって、欠かせないパートナーです。
在庫リスクとE&O
在庫管理において最も恐れられるのがE&O(Excess and Obsolete)です。
Excessは「過剰在庫」、Obsoleteは「陳腐化・死蔵在庫」を意味します。
製品の仕様変更や生産計画の下方修正により、確保した部品が使われなくなるリスクは、常にEMSの経営を圧迫します。
なぜ今、在庫が問題になるのか
2026年現在、地政学的な変動や気候変動によるサプライチェーンの分断リスクは依然として存在します。
かつての「ジャスト・イン・タイム(必要な時に必要な分だけ)」という考え方は、供給不安への備えとして「ジャスト・イン・ケース(万が一に備えて)」へとシフトしました。
しかし、部品を多く持てば持つほど、キャッシュフローは悪化し、保管コストが増大します。
この「供給安定」と「資産効率」のジレンマが、OEMとEMSの間で激しい交渉の火種となっているのです。
具体的な仕組み:EMS工場が在庫を嫌う5つの理由
EMS工場が在庫を抱えることを極端に嫌うのには、単なる感情論ではなく、製造現場特有の経済合理的、技術的な理由があります。
1. キャッシュフローの圧迫
EMSビジネスは、極めて利益率が低い薄利多売のモデルです。
部品を買い取るための資金(運転資金)は、製品が完成し、顧客に納品されて支払われるまで回収できません。
数千点に及ぶ部品を抱えることは、莫大な現金を倉庫に眠らせているのと同じであり、企業の投資能力を著しく低下させます。
2. 保管環境の厳格化
現代の電子部品、特に半導体や高周波部品は、極めて繊細です。
- MSL(Moisture Sensitivity Level):湿気感度レベルに基づき、防湿梱包やベーキング(乾燥処理)が必要な部品が増えています。
- ESD(Electrostatic Discharge):静電気対策を施した専用の棚や床、什器が必要です。
- 有効期限:はんだ付け性の劣化を防ぐため、多くの部品には製造後1年〜2年といった使用期限が設定されています。 これらを適切に管理するための人件費や光熱費、スペースコストは無視できない負担となります。
3. MOAとリードタイムの乖離
部品メーカーが設定する最小発注単位(MOQ:Minimum Order Quantity)も大きな障壁です。
製品を100台作るために、1リール5,000個単位でしか買えないチップ部品がある場合、残りの4,900個は「将来使うかもしれない在庫」となります。
この差分を誰が負担するのかが、常に論点となります。
4. 設計変更(ECO)への対応
電子機器のライフサイクルが短くなる中、エンジニアリング・チェンジ・オーダー(ECO:設計変更指示)は頻繁に発生します。
新しい基板への移行が決まった瞬間、旧基板専用の部品は一瞬にしてゴミ(死蔵在庫)に変わるリスクを孕んでいます。
5. 市場価格の変動リスク
特にメモリ(DRAM、NANDフラッシュ)などの汎用部品は、市場価格の変動が激しいことで知られています。
高い時期に確保した在庫を、価格下落後に製品として納品する場合、EMS側がその差額を被る契約になっていると、赤字転落の恐れがあります。
作業の具体的な流れ:リスクを最小化する契約と運用の5ステップ
EMSとの契約において、在庫リスクを明確にし、健全な運用を行うための標準的なプロセスを紹介します。
ステップ1:部品特性に応じた調達区分の設定
全ての部品をEMS任せにするのではなく、まずは部品リスト(BOM)を以下の3つに分類することから始めます。
- OEM支給品:高額なSoCや特殊なカスタム部品など、OEMが直接調達してEMSに渡すもの。
- EMS調達品(標準品):抵抗、コンデンサなど、汎用性が高く他社製品にも転用可能なもの。
- 長納期品(LT品):発注から納品まで半年以上かかるような、計画的な確保が必要なもの。
ステップ2:在庫責任の所在(Liability Agreement)の締結
最も重要なステップです。契約書の中に、どの範囲の在庫に対して、誰が責任を持つかを明文化します。
- NCNR契約(Non-Cancellable, Non-Returnable):キャンセル不可・返品不可の条件で発注する場合の、代金支払い義務の確認。
- 在庫保管期間の限定:例えば「生産終了から3ヶ月経過した在庫は、OEMが全額買い取る」といった条項を盛り込みます。
ステップ3:フォーキャスト(需要予測)の共有と精度向上
EMSは、OEMから提出されるフォーキャストに基づいて部品を手配します。
- 確定発注(PO):翌月分など、支払いが確定している注文。
- 内示(Forecast):3ヶ月〜6ヶ月先の予測値。 この内示に基いてEMSが部品を先行手配(ロングリードタイム・バイ)した場合の、買い取り保証の範囲を決定しておきます。
ステップ4:VMI(Vendor Managed Inventory)の活用
高度な運用として、部品メーカーや商社がEMS工場の近く、あるいは工場内に在庫を保有し、実際に使用した分だけを検収するVMI方式を採用することがあります。
これにより、EMS側の資産計上を遅らせることができ、キャッシュフローが改善されます。
ステップ5:定期的な棚卸しと死蔵在庫の処分会議
四半期に一度、あるいは半年に一度、動いていない在庫(スロームービング在庫)をリスト化し、両社でレビューを行います。
- 「今後、修理用として保管し続けるか」
- 「廃棄処分にするか」
- 「他社へ転売するか」 これらを放置せず、定期的に決着をつけることが、健全な関係を維持する秘訣です。
最新の技術トレンドや将来性:2026年の在庫管理
テクノロジーの進化は、EMSとOEMの間の在庫問題を解決する新しい手段を提供しています。
デジタルツインとサプライチェーンの可視化
2026年現在、クラウド上でEMSの倉庫在庫、製造ラインの稼働状況、部品商社のリアルタイム在庫を同期させるデジタルツイン技術が普及しています。
これにより、「言った・言わない」のトラブルが減り、過剰な安全在庫を持たずに済む環境が整いつつあります。
AIによる需要予測の高度化
過去の販売実績だけでなく、マクロ経済指標やSNSのトレンド、地政学リスクなどをAIが解析し、より精度の高いフォーキャストを算出するサービスが増えています。
これにより、突然の減産による在庫滞留リスクを大幅に軽減できるようになりました。
グリーン・プロキュアメント(環境配慮型調達)の加速
欧州を中心に進むデジタル製品パスポート(DPP)の影響で、在庫の「廃棄」に対する規制が厳しくなっています。
無駄な在庫を持たないことは、単なるコスト削減ではなく、企業の環境責任(ESG)を果たすための必須条件となっています。
今後は、在庫過剰そのものが規制対象や課税対象になる可能性も視野に入れる必要があります。
よくある質問(FAQ)
Q1. EMSから「部品のMOQにより余剰が出ます」と言われました。費用は必ずこちらが持つべきですか?
A1. 一般的には、その製品専用の部品(カスタム品)であれば、OEMが費用を負担するのが業界の慣例です。
ただし、汎用的な抵抗やコンデンサであれば、EMSが他社の案件に転用できる可能性があります。
交渉の余地はありますが、契約時に「その製品専用に手配したものの残分はOEM負担」と決められていることが多いです。
Q2. 支給品(OEM支給)とEMS調達、どちらがコストメリットがありますか?
A2. 部品の購買力(購買ボリューム)によります。
大手メーカーであれば自社の購買網を使ったほうが安くなるケースが多いですが、中小規模のメーカーであれば、EMSが持つ共通の購買枠を利用したほうが、安く、かつリードタイムも短くなる傾向があります。
管理工数まで含めると、EMS調達のほうがトータルコストは低くなるのが一般的です。
Q3. 半導体不足が再発した場合、EMSはどう動きますか?
A3. 過去の教訓から、現在のEMSは「長期買い取り保証」がない限り、先行手配には応じない姿勢を強めています。
不足が予想される場合は、契約に基づき「リスクバイ(先行購入)」の承認をOEMに求めます。
この承認を渋ると、いざ製造する時に部品がなく、機会損失を招くことになります。
まとめ
EMS工場が在庫を持ちたくないという「本音」の裏には、薄利多売のビジネスモデルゆえの切実なリスク管理があります。
キャッシュフローの悪化、保管リスク、そして何より不確実な需要予測に対する防衛本能と言えるでしょう。
賢い契約方法とは、決してリスクを相手に押し付けることではありません。
- 部品ごとの責任分担を明確にする。
- 在庫の買い取り条件(Liability)を契約書に明記する。
- デジタル技術を活用して情報をリアルタイムに共有する。
これらのステップを踏むことで、EMSは安心して製造に専念でき、OEMは安定した製品供給を確保できるようになります。
2026年の不透明な市場環境において、パートナーであるEMS工場の懸念を正しく理解し、透明性の高い契約を結ぶことこそが、最も確実なリスクマネジメントと言えるのではないでしょうか。
今回の記事が、皆様の基板実装・製品製造の現場における、より良いパートナーシップ構築の一助となれば幸いです。






