

日本の半導体部材産業におけるBCPの新たな定義と地政学的背景
日本の半導体部材メーカーは、世界の半導体製造サプライチェーンにおいて、フォトレジスト、シリコンウェーハ、高純度化学品、パッケージング材料などの特定分野で圧倒的なシェアを有している。
これらの部材の供給途絶は、自動車、通信、医療、軍事といった広範な産業の停止に直結するため、各メーカーが策定する事業継続計画(BCP)は、単なる企業の内部指針を超え、国家レベルの経済安全保障およびグローバル経済の安定性を左右する戦略的インフラとしての性格を強めている 。
現代のリスク環境は、従来の自然災害(地震、台風、洪水)に加え、パンデミック、地政学的対立、サイバー攻撃、そして深刻化する労働力不足や「物流の2024年問題」といった多層的な課題を内包している 。
これに伴い、各メーカーのBCPは、事後的な復旧(Recovery)から、事前のレジリエンス(Resilience:回復力)および頑健性(Robustness)の構築へと、その重心を移行させている 。
特に、AI半導体の急速な普及に伴う次世代パッケージ材料の需要増や、PFAS(ペルフルオロアルキル化合物およびポリフルオロアルキル化合物)などの化学物質規制への適応は、新たな事業継続上のボトルネックとして浮上している 。
本報告書は、信越化学工業、SUMCO、JSR、東京応化工業、レゾナック、富士フイルム、住友化学といった主要メーカーの公式報告書および最新の災害対応事例に基づき、日本の半導体部材産業が構築しているBCPの実態とその戦略的意図を、財務基盤、生産拠点分散、デジタル変革(DX)、サステナビリティの観点から包括的に分析するものである。
主要メーカー別のBCP戦略と生産・供給体制の分析
信越化学工業:自動化とグローバル投資による圧倒的な供給責任の完遂
信越化学工業は、塩化ビニル樹脂および半導体シリコンウェーハにおいて世界トップの地位を占めており、その供給責任は一企業の枠を超えた社会的使命となっている。
同社のBCPの根幹は、潤沢なキャッシュフローを背景とした「適時的確な設備投資」と「極限までの省人化・自動化」にある 。
同社の生産戦略において注目すべきは、人的リスクの低減である。
生産現場で最小人数による安定操業を追求し、ロボットや自動化技術を極限まで導入することで、感染症拡大時や労働力不足の状況下でも、操業への影響を最小限に抑える体制を構築している 。
これは、物理的な災害対策だけでなく、社会的・人口学的なリスクに対するBCPの高度な形態と言える。
また、経験豊富なエンジニアによるきめ細かなメンテナンスを通じて、設備の突発的な停止を未然に防ぐ予防保全が徹底されており、これが高い生産性と供給の安定性を支えている 。
供給拠点に関しては、国内回帰とグローバル分散の「ハイブリッド型」の展開を見せている。
先端露光材料(フォトレジスト等)の新拠点を日本国内に設営する一方で、米国においては塩化ビニルおよび苛性ソーダの最新鋭工場を稼働させるなど、市場近接性とリスク分散を両立させている 。
財務面では、配当性向の目安を40%に引き上げるなど株主還元を強化しつつも、強固な自己資本を維持しており、大規模災害時でも自力での迅速な復旧・投資が可能な「財務的レジリエンス」を保持している 。
| 項目 | 内容・戦略 | BCP上の意義 |
| 生産体制 | 極限までの自動化・省人化 | 人的リスク(感染症・労働力不足)の回避 |
| 投資戦略 | 先端材料の国内新拠点設営 | サプライチェーンの国内回帰と技術保護 |
| 海外展開 | 米国での大規模新工場稼働 | 地政学リスクの分散と市場近接供給 |
| 財務基盤 | 配当性向の引き上げと強固な自己資本 | 有事の際の復旧資金確保と投資継続性 |
SUMCO:専業メーカーとしての多層的リスク管理とグローバルネットワーク
シリコンウェーハ専業のSUMCOは、結晶成長プロセスという極めて繊細な製造工程を持つため、わずかな振動や停電も致命的な損失に繋がりかねない。
同社のBCPは、社長直轄の「事業安全委員会(BSC)」によって統括され、現場レベルの事業継続管理(BCM)と密接に連携している 。
SUMCOのリスク管理は、ハード面とソフト面の両輪で構成されている。
ハード面では、製造設備の耐震・免震化を徹底し、原材料(多結晶シリコン等)の安全在庫を積み増すとともに、複数の供給源を確保することで調達リスクを緩和している 。
特に、多結晶シリコンについては長期購入契約を締結し、価格変動と供給途絶の両面からガードを固めている。
ソフト面では、年2回のBCM会議を通じて進捗を確認し、定期的な避難訓練や復旧訓練を実施することで、組織的な即応性を高めている 。
同社の強みは、その広範な国内・海外生産ネットワークにある。日本国内では九州に拠点を集中させつつも、山形(米沢)、北海道(千歳)、秋田と地域的に分散させており、海外では米国、台湾、インドネシアに拠点を有する 。
この分散体制により、特定の地域で激甚災害が発生した場合でも、他の拠点で生産を代替・補完する「サイト間バックアップ」が可能となっている。
また、情報漏洩やサイバー攻撃に対しては、CSIRTを設置してファイアウォールやマルウェア対策を強化しており、デジタル情報の継続性も確保されている 。
| 地域 | 拠点・工場名 | BCP上の機能 |
| 日本(九州) | 伊万里(長浜・久原)、佐賀、長崎 | 300mm最先端ウェーハの主力生産 |
| 日本(東北・他) | 米沢(山形)、千歳(北海道)、秋田 | 地震リスクに対する国内拠点分散 |
| 米国 | アラバマ(HPS America) | 北米市場への安定供給と地政学リスク分散 |
| 台湾 | 麦寮(Formosa Sumco) | アジア圏の需要対応と生産相互補完 |
| インドネシア | ベカシ(PT. SUMCO Indonesia) | 東南アジア拠点としての供給継続性 |
東京応化工業(TOK):スマートファクトリーの導入とDXによる可視化
東京応化工業は、フォトレジストという半導体製造の微細化を左右する核心部材を供給しており、そのBCPは「供給の絶対的な継続」を追求している。
特に2024年に竣工した「阿蘇くまもとサイト(阿蘇工場)」は、同社のBCP戦略の最前線を象徴している 。
阿蘇くまもとサイトは、高純度化学品の製造に特化した「人間中心のスマートファクトリー」として設計されている。
RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)や高度な自動化設備を導入することで、人間のエラーを排除し、災害時の迅速な状況把握と復旧を可能にしている 。
このスマート工場化は、生産効率の向上だけでなく、緊急時における従業員の安全確保と、最小限のスタッフでの操業継続を実現するためのBCP的な要請から導き出されたものである。
また、TOKは「物流2024年問題」や自然災害を包括的に捉え、サプライチェーン全体のデータ活用を拡張している 。
DX担当役員のもと、サプライチェーンの可視化を進め、顧客との密接な情報共有を通じて需要変動に即応できる体制を整えている 。
同社のBCPは、過去の東日本大震災や熊本地震の教訓を反映し、首都直下地震などの複合的な被災シナリオに基づいて毎年見直されており、安否確認システムの応答率を高く維持するための訓練も定期的に実施されている 。
JSR:グローバル・サステナビリティと規制適応型BCP
JSRのBCP対応は、気候変動や化学物質規制といった「環境・規制リスク」と密接にリンクしていることが特徴である。
同社は、ベルギーのJSR Micro N.V.などの海外拠点を重要な戦略拠点として位置づけ、グローバルな視点でのリスク管理を行っている 。
JSR Micro N.V.の報告書によれば、2024年度はライフサイエンス分野での苦戦があったものの、半導体材料分野では顧客との戦略的パートナーシップの深耕に注力している 。
同社にとって最大の事業継続リスクの一つは、PFASなどの化学物質に対する国際的な規制強化である。
JSRはこれをリスクとしてのみ捉えるのではなく、R&D投資を通じてPFASフリー材料への迅速な移行を進めることで、規制による供給停止を回避し、むしろ競合他社に対する持続的な競争優位(サステナビリティ成熟度)へと転換させようとしている 。
また、同社は「Responsible Care」の精神に基づき、労働安全、事故防止、製品安全を徹底している 。
サプライチェーンマネジメントにおいては、人権尊重や環境負荷の低減をサプライヤーに求めることで、サプライチェーン全体での「社会的BCP」を構築している。
これは、法規制や倫理的要請による事業中断リスクを管理する、極めて現代的なBCPの形態であると言える。
レゾナック:後工程材料の覇権と経済安全保障戦略
レゾナック(旧・昭和電工および日立化成の統合体)は、半導体の後工程(パッケージング)材料において世界トップクラスのシェアを有している。
AI半導体の進化に伴い、チップを積層する3D実装技術の重要性が増す中、レゾナックの後工程材料の安定供給は、世界のAIインフラの維持に直結する課題となっている 。
同社のBCPの核心は、地政学リスクを前提とした「強靭なサプライチェーンマネジメント(SCM)の構築」にある。
経済安全保障の重要性が高まる中で、原材料、エネルギー、物流コストの高騰を構造的なリスクとして特定し、供給途絶を未然に防ぐ体制を強化している 。
レゾナックは、前工程から後工程までの広範な製品ラインアップを持つ強みを生かし、顧客との共創を通じてサプライチェーンの奥行きを深めることで、特定の地域での政情不安や供給混乱に対する回復力を高めている。
自然災害への実戦的対応:能登半島地震と熊本の事例
2024年能登半島地震における復旧プロセス
2024年1月に発生した能登半島地震は、日本の半導体供給網の脆弱性と強靭性の両面を浮き彫りにした。
石川県内に工場を持つサンケン電気や加賀東芝エレクトロニクスは、被災後直ちにBCPを発動した 。
加賀東芝エレクトロニクスは、1月初旬の被災から約2ヶ月後の3月下旬には震災前の生産能力を完全に回復させた 。
サンケン電気においても、一部の停電が続いていた志賀工場の生産品を、別の工場で代替生産する「サイト間バックアップ」を迅速に実施した 。
これらの迅速な対応を可能にしたのは、事前に策定されていた代替生産マニュアルと、複数拠点間での製造条件(レシピ)の共有化という、BCPのソフト面の備えであった。
熊本県における産業クラスターと相互補完
九州、特に熊本県においては、TSMCの進出を契機として半導体エコシステムの集積が加速している。
東京応化工業の阿蘇工場や、SUMCOの伊万里、長崎、宮崎の各拠点など、部材メーカーが集中することは、地理的なリスクの集中を招く一方で、BCP上のメリットも生み出している 。
同一地域内の企業間での災害時相互協力や、インフラ整備の優先順位付けなど、地域クラスターとしてのレジリエンスが向上している。
また、熊本県の豊富な水資源と安定した電力供給は、生産の継続性を担保する重要な「自然資本・社会資本」として機能しており、各社は自治体と連携してこれらの資源の保全と安定利用を図っている 。
デジタル変革(DX)とBCPの融合
現代のBCPにおいて、DXはもはやオプションではなく、必須の基盤となっている。
主要メーカーにおけるDXの導入は、以下の3つの側面で事業継続性を強化している。
1. サプライチェーンの可視化とリアルタイム・トラッキング
東京応化工業や住友ベークライトに見られるように、サプライチェーン全体を高度なデータ活用によって拡張することで、原材料の調達から製品の出荷までのフローをデジタル上で可視化している 。
これにより、特定の港湾の閉鎖や輸送路の遮断といった物流リスクが発生した際、影響を受ける品目と顧客を即座に特定し、代替ルートへの切り替えを迅速に行うことが可能となる。
2. AIによる予防保守と品質管理
信越化学工業やSUMCOは、生産プロセスにAIやセンサー技術を導入し、設備の故障の予兆を検知する予知保全を行っている 。
これにより、突発的な設備故障による操業停止を防ぐとともに、品質のバラツキを極小化し、規格外品の大量発生という事業継続上のリスクを回避している。
3. スマートファクトリーによる人的リスクの低減
東京応化工業の阿蘇工場のように、RPAや自動化を徹底したスマートファクトリーは、災害時の初動において人的な介在を最小限に抑えることができる 。
これは、被災時に従業員が自身の安全確保や避難を優先しつつも、工場のシステムが安全に停止、あるいは維持されることを保証するものである。
財務戦略とガバナンス:BCPを支える無形資産
BCPの実効性は、それを支える財務的な余裕と、トップマネジメントの意思決定プロセスに依存する。
安定配当と設備投資のバランス
信越化学工業の事例が示す通り、高い収益性と安定したキャッシュフローは、不測の事態における迅速な復旧投資を可能にする。
同社は配当性向の目安を引き上げつつも、将来の不確実性に備えた投資余力を常に保持している 。
これは、株主の信頼を維持しながら、長期的な事業継続性を確保する「バランスのとれたBCP経営」のモデルと言える。
経営資本の多角的な管理
住友化学や住友林業(住友グループ各社)の報告書では、財務資本だけでなく、知的資本、人的資本、自然資本といった「非財務資本」の重要性が説かれている 。
たとえば、人的資本の充実(高度な専門知識を持つエンジニアの育成)は、災害時の現場での即応力を高める知的資本として機能する。
また、地域社会との良好な関係(社会・関係資本)は、有事の際の復旧支援において不可欠な要素となる。
リスクマネジメント委員会とガバナンス
SUMCOの事業安全委員会(BSC)のように、取締役会レベルでのリスク監視体制が整備されていることが、BCPの形骸化を防ぐ鍵となる 。リスクマネジメントが経営の最優先事項として位置づけられ、定期的なレビューと改善が行われることで、変化するリスク環境に適合した最新のBCPが維持される。
化学物質規制と環境への適応:持続可能な供給の新たな要件
近年のBCPにおいて、急速に重要性を増しているのが「環境規制への適応」である。
これは物理的な破壊による供給停止ではなく、法的な規制による「市場からの退出」という形での事業停止リスクである。
PFAS規制への対応
JSRの報告書に見られるように、欧州を中心としたPFAS規制の動向は、半導体材料メーカーにとって死活問題である 。
多くの露光材料や洗浄剤に使用されているPFASが使用禁止となれば、代替材料が開発されない限り、事業の継続は不可能となる。
JSRはR&D投資を強化し、規制に先んじて代替品を上市することを目指しており、これを「コンプライアンスとしてのBCP」と位置づけている。
カーボンニュートラルとエネルギーの継続性
2050年のカーボンニュートラル目標に向け、各社は生産プロセスの脱炭素化を加速させている 。
これは環境貢献という側面だけでなく、将来的な炭素税の導入や、顧客(デバイスメーカー)からの「クリーンな部材」の要求に応えるための生存戦略でもある。
また、再生可能エネルギーの導入や自家発電設備の強化は、大規模停電時における電力の継続性確保という、伝統的なBCPの側面も兼ね備えている 。
結論:日本の半導体部材メーカーにおけるBCPの展望と提言
本リサーチを通じて、日本の主要半導体部材メーカーのBCP対応は、従来の「災害対策」から「経営の強靭化(レジリエンス)」へと、その次元を一段階引き上げていることが確認された。
信越化学工業やSUMCOなどのトップメーカーは、潤沢な財務力を背景とした生産拠点のグローバル分散と自動化の徹底により、物理的な供給途絶リスクを最小化している。
一方で、東京応化工業やレゾナックは、DXの活用や特定領域(後工程、高純度化学品)でのリーダーシップを武器に、複雑化するサプライチェーンの中で「代替不可能な地位」を確立し、供給の継続性を確保している。
今後の展望として、日本の部材メーカーが維持すべき戦略的視点は以下の3点に集約される。
- 「常時稼働」を前提としたスマートファクトリーの更なる普及: 阿蘇工場のような最新鋭拠点のモデルを国内外に展開し、人的・物理的リスクに対して自律的に回復する生産体制の構築。
- デジタル・ツインによるサプライチェーンのシミュレーション: 単なる可視化に留まらず、サイバー空間上で地震や地政学リスクのシナリオをシミュレーションし、最適な在庫配置や代替ルートを瞬時に導き出す体制の構築。
- 規制適応を差別化要因とする「グリーン・レジリエンス」: PFAS規制やカーボンニュートラルへの対応をコストとしてではなく、供給の継続性を保証するライセンスとして捉え、研究開発を加速させること。
日本の半導体部材各社は、能登半島地震などの厳しい試練を乗り越え、その都度BCPを深化させてきた。
世界が日本の部材に依存し続ける限り、これらの企業のBCPは、一国の産業政策を超えた、グローバル・デジタル社会の生命線を守る極めて重要な使命を担い続けることになるのである。
ey.comTMT Industry Futures – EY
resonac.comRESONAC REPORT 2024 P.33-P.112
shinetsu.co.jp統合報告書 2024 – 信越化学工業
procurement.intra-mart.jpサプライチェーンリスクとは?事例と効果的な軽減対策を徹底解説storage.googleapis.comJSR Micro NV Sustainability Report 2024 – Googleapis.com
shinetsu.co.jp統合報告書 2024 – 信越化学工業
sumcosi.comAnnual Report | SUMCO CORPORATION
tok.co.jpIntegrated Report 2024
tok.co.jp2024 | TOKYO OHKA KOGYO CO., LTD.
sr.co.jpSustainability Report Archive | JSR Corporation
jsr.co.jpSustainability | JSR Corporation
eetimes.itmedia.co.jp「令和6年能登半島地震」半導体/電子部品各社への影響:随時更新 – EE Times Japan
sumibe.co.jpIntegrated Report 2024
sumitomo-chem.co.jpIntegrated Report | IR Library | SUMITOMO CHEMICAL
sumitomo-chem.co.jpIntegrated Reports 2024 ended March 31, 2024 (For 143rd Fiscal Period) | IR Library | SUMITOMO CHEMICAL






